OldLionの備忘録

年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。 いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。 そんなライオンになるための日進月歩。

掏摸 中村文則著 を読んで

中村文則の作品は「教団X」より2回目。

本作品の書評でいいなと思ったものを末尾に載せているのだけど、この著者は徹底的に「悪」と言うものを考察しようとしている。

 

主人公はスリを行うことで、常に木崎の支配下にいる。そして木崎の支配下に入ってスリを繰り返すことで初めて「塔」が消えてしまう。それは子供に対して自分が生殺与奪権を持ち、悪としてのスリルを味わうことによるものだと思う。徹底的に悪に染まろうとするなら善を覚えていなければならない。相手の苦痛に同情し、親にも思いを馳せそれでもなお更なる苦痛を与える。そんな奪う立場に立つことで初めてあの塔は消えていく。だとすればその塔は、倫理的に超えてはいけない、超えられないと思っているそびえ立つ存在。でも実は超えてみたいとも思ってるもの。そんな甘美さと崇高さ・恐れを伴った存在なのかな。

本書ではヤーヴェの子供の件がすごく好きなくだり。ヤーヴェの管理下にあった子供を完全に支配し、全ての人生での出来事を決めてその通りに行動させる。完全なる管理だ。その時、子供はヤーヴェにたいして崇高よりも恐れを抱くだろう。崇高さに近い尊敬と恐れ。

 

「藻屑蟹」とか「海辺のカフカ」では、決して抗うことができない権力が現れて、それに流されていく弱々しい人々が映されていた。だけど本著ではその絶対的な権力に抗うことができ無いほどに誘惑されてしまう姿、そしてそこを垣間見てしまう姿が特徴的だったな。それくらいの方が現実の僕たちにリアリティに促しているし、エンタメとして面白い。

でも個人的には「臣女」や「ハリガネムシ」のような徹底的な受け身、の方が最後の瞬間での美しさみたいのがあるな。

 

http://bookjapan.jp/search/review/200911/houjo_kazuhiro_01/review.html