OldLionの備忘録

年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。 いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。 そんなライオンになるための日進月歩。

ソリューションリッチな時代に向けて

山口周さんの「ニュータイプの時代」に関する考え方がとても面白かったので、備忘録として上げておきたい。
 
面白かったのは以下の2点。
1. 現代はソリューションリッチ・問題プアの時代
一般的によく聞くのは、課題解決型人材が今必要であると言われている。だが、この言葉をきちんと咀嚼できている人はどれくらいいるだろうか。
課題を解決することが難しいのではない。この現代において、多様な技術を使ったアホたくさんのサービスが出ている。問題なのは、自分たちがそういうツールを使ってでも解決したい課題を見つけ出すことが出来ない。言い換えれば、根本的な解決すべき課題はもはや殆ど残されておらず、それを顧客と一緒に導き出せる人材が課題解決型人材だ。それくらい、目に見える課題はどんどんなくなって、ソリューションばかりが増えていっているということなのだ。
 
東南アジアにくる起業家と話すと、この部分を話すことが多い。大きな市場=大きな課題ポテンシャルに取り組むことができるのだ。逆に日本では、昔の営業のようにとりあえずマスでアポを取る、行動モーレツ型は意味がない。ニーズあるクライアントに対して、「こんなこと出来るんよ!」という深掘りが出来ることが必須条件になる。
 
2. モーレツからビューティフル、
求められる人材像が変わったと同時に、正解を見つけ出す=課題に対しての正しいアプローチ をひたすら探求するというアプローチ自体が、昭和的だと指摘される。むしろ、落合陽一や西野亮廣のような「喜怒哀楽をエネルギーに変える」人材にお金が集まる時代だと山口氏は指摘する。課題がなくなった今、人生が生きるに値する場所だと気づかせてくれる人間に人は集まるからだ。
僕もCSRを研究していたのでよく分かるが、昔はCSRメセナというのがあって、今もアコムとかがコンサート支援とかやっているが、あれは「文明で儲けて文化で蕩尽」という前時代の残渣である。Jリーダー・Youtuber・お笑い芸人など、価値を提供できる個人にはどんな形であれお金も人も集まる。藤岡和賀夫の「モーレツからビューティフル」開高健の「首からの上の時代から、首から下の時代へ」という標語が糸井重里全盛の西武時代に生まれたが、バブルを経て文化活動が決定的に削られた30年を経て、ようやくこの言葉を地で行く時代になったのだ。
 
この平成の30年についての考察を引き続きやっていくことには非常に大きな意義があると思われる。
宗教を軸に人間の生きる意味を哲学している欧米と比べ、日本では哲学や死生観を自分ごととする取り組みが圧倒的に少なく、それ故に精神的な安定を図るために何かの行動を取らずにはいられない/取らずに病んでいく という現象がある。それ故、カウンターパートとしてブログやソーシャルメディアなど社会的なエネルギーをネット上で発散させるサービスが世界に類を見ない定着を見せているのである。
このエネルギーがクリエーターの進化によって、新しいサービスに結びついているのだろう。今までのサービス「参加」する場所なら、これからは「協働」「寄り添い」みたいな、ユーザーにより近い意味合いに移っていっているのだろう。このBtoCのサービスのあり方の変遷はもう少し研究する必要がありそうだ。