OldLionの備忘録

年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。 いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。 そんなライオンになるための日進月歩。

1995年 未了の問題圏を読んで

1995年 未了の問題圏。この本で一番やはり強烈な印象を残すのは「プレカリアート運動」に精を出す雨宮処凛さんの描写だ。
援交・リスカ・メンヘラ。彼女は1995年を「盆と正月とハルマゲドン」と表現する。オウムに地震に、戦後50周年、それに加えて派遣法を通した経団連憲章の変更がある。
彼女はこの時代を「平坦な戦場」という。バブルの崩壊の途上で、ゆるやかに日常が流れていく。それは1980年代以前のペースで。だけど、そこには流行のモードへの適応や、能力などでマウントされるかどうかが決まっている。だから誰もがゆるやかな日常を遅れる訳ではない。日本の成功例があからさまに規定されるようになったことで、明らかに序列が発生し、そのなかでのコードを守らなければならない。
 
1990年の中盤にヤマンバギャルやパラパラなど、以上な勢いでギャル文化が生まれていったが、あれは彼らの同調と傑出のコミュニケーションが極致に達した地点に存在する、いわゆるどん詰まりだったのだろうと今では思える。
 
今や派遣が常態化し、みんなのコミュニケーションの平準点が、今までの高みから地滑りしたことで、誰もマウントをとろうとは思わなくなるのだろう。社会はそれぞれの階層の中で個人がなんとか生きるようにアトムとして設計され直されているのだ。だから殊更に死とかいうワードは聞かなくなったが、だが実態はなにも変わっていない。
 
だが、ひとつの考察としては、1980年代を経た1995年は、「他者と比較しての」自分だった、だから日本は自殺大国になっていった。今はその意味での悲惨さは少しは軽減されたのではないかな。今TikTokとかでリア充の逆襲とか言われているし、マウントとは別の疎外感というものが問題になってきそう。