子供の数と自然の収斂
今Factfulnessを読んでいる。
まとめるのはあとでまとめようと思うが、非常に面白い部分が随所にある。例えばイランでの女性一人当たりの出生人数は今アメリカのそれよりも少ないそうだ。世界には避妊についての意識が根付き、人間は所得が多くなるにつれて子供を産まなくなってくる。所得が低いレベル1のような段階では「自然に調和して死んでいく」という言葉にある通り、たくさん生まれてたくさん子供が死ぬことが自然の摂理だった。だが、少ない子供で無理のない家計を築いていくこと、子供たちに教育を施すことは人間の共通の収斂先なのだろうか、今は「自然に調和して生きていく」子供たちを無理のない範囲で生んでいく。これが途上国も含めた世界の成熟化の流れ。
むしろ多死多産や環境破壊というのは、人間が自然に調和する過渡期の異常な時期だと言えるのかもしれない。
人間が産業革命を経て、晩婚化を迎え、日本はバブルの世代から急激に子供を産まなくなった。日本が子供を産めなくなったのは、明らかにオーバーオペレーションだからだと言える。支えるべき社会が急速にできていった結果、それを支えるために多大な労力が必要となり、結婚できる力が残らないくらいに忙しいからだ。
だが、本来このオーバーに支え合う社会過程というのを世界から見たら異常で、この異常が収斂していのが自然だと言えるのかもしれない。成長戦略が挫折したそのさきには、ようやく共生社会への道筋が見えてくるのかもしれないなぁ。